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和歌山地方裁判所 昭和60年(行ウ)4号 判決 1988年11月30日

原告

岡京子

右訴訟代理人弁護士

田中昭彦

高木甫

被告

和歌山労働基準監督署長

橋爪俊幸

右指定代理人

田中慎治

明尾豊

田中皖洋

玉井勝洋

山本聖峰

水流猛

坂本憲三

松尾貞子

主文

一  被告が昭和五六年九月一八日付で原告に対してなした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  訴外岡章次(以下「章次」という。)は、和歌山市湊一三三四番地所在の訴外三日月運送株式会社(現在の所在地・和歌山市西浜一六六〇番地、以下「訴外会社」という。)に大型貨物運転手として勤務していたものであるが、昭和五六年三月二日午前四時三〇分ころ、製品を積載したコンテナトラクターとも称するセミトレーラーを和歌山市内から名古屋市まで運転する業務に従事中、奈良県天理市櫟本町三一三一番地「だるまや食堂」裏側の空地において、急性心不全により死亡した。

2(一)  原告が、被告に対し、章次の妻として、昭和五六年四月三〇日付で労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)による遺族補償給付及び葬祭料の給付請求をしたところ、これに対し、被告は、章次の死亡は業務上の事由によるものとは認められないことを理由として、同年九月一八日付で不支給決定の処分(以下「本件処分」という。)を行った。

(二)  原告は、右処分を不服として、和歌山労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、同審査官は、昭和五七年二月四日付でこれを棄却した。

(三)  原告は、右棄却決定を不服として、さらに労働保険審査会に対し再審査請求を行ったが、同審査会は、昭和五九年一一月七日付で再審査請求を棄却する旨の裁決をし、その裁決書謄本は同年一二月二一日原告に送達された。

3  しかし、以下において述べるとおり、章次の急性心不全による死亡は業務上の事由によるものであるから、被告の本件処分は違法である。

4  業務起因性

(一) 一般に、労災補償の対象となる業務上の負傷疾病については、単に当該負傷疾病が労働契約に基づき使用者の支配下にある状態で発生した(業務遂行性)だけでは足りず、業務と当該負傷疾病との間に相当因果関係のあること(業務起因性)が必要とされている。

従来、業務起因性の内容は「業務→アクシデント→傷病」という構造をとるものとされ、この場合、アクシデント=災害とは、外傷をもたらす出来事のみならず、急激な身体的努力や精神的緊張、有害ガスの一時的大量吸入、放射線の一時的大量被爆などを含み、要するに「短時間に身体を加害する出来事を総称する」ものとされてきた。

昭和三六年二月一三日付基発第一一六号「中枢神経及び循環器系疾患(脳卒中、急性心臓死等)の業務上外認定基準について」(以下「本件通達」という。)も右に述べた考え方を基本とするものであり、行政解釈上アクシデントの存在は必要とされ、当該業務が疾病を起こす直前において急激な身体的努力、精神的緊張等短時間内に身体を加害するようなものであったとき、すなわちアクシデントが存在する場合に限って業務起因性が認められるとされてきたのである。

(二) しかしながら、アクシデントが介在せず、職務による心身の慢性的過労状態によって疾病に陥ったときでも、業務起因性を肯定すべきことは当然である。

近時の多くの裁判例は、本件のような循環器障害による死亡について、基礎疾病が原因となって死亡した場合であっても、業務の遂行が基礎疾病を誘発または増悪させて死亡の時期を早めるなど、それが基礎疾病と共働原因となって死亡の結果を招いたと認められる場合には、労働者がかかる結果の発生を予知しながら敢えて業務に従事するなど特段の事情がない限り、業務起因性を肯定し、アクシデントの存在は、業務起因性の存否を判定するに際して考慮に入れるべき要素の一つにすぎないとしている。

前述したように、一般に労災補償の対象となる業務上の負傷疾病については、業務と当該負傷疾病との間に相当因果関係が必要とされているが、当該負傷疾病が業務遂行を唯一の原因とすることまで必要とはされないと解すべきである。

(三) 仮に、後記7のとおり、積雪による長時間にわたる交通停滞、排気ガスの長時間吸入、車中温度と外気温の差が大きかったことなどの諸事情が、右に述べた意味におけるアクシデントとはいえないとしても、少なくとも章次の心臓死は職務による心身の慢性的過労状態によって発症したものであるから、裁判例の近時の考え方に立てば業務起因性は認められるべきものと考える。

すなわち、章次が生前従事していた業務は、セミトレーラーによる貨物輸送の乗務であり、夜間に乗務する機会が多く、拘束時間が長く、かつ長距離輸送が主体であった。その職務は想像以上に肉体的並びに精神的負担のかかる激務であって、被災当時一二年間の長期にわたる運転業務に従事してきた章次に、心身の疲労がかなり蓄積していたことは疑いのないところである。かつ、章次には気管支喘息、糖尿病、高血圧症の基礎疾病があっただけに、これら各基礎疾病と右に述べた被災当時の心身の慢性的過労状態とが相俟って、章次の心臓に対し相当程度の負荷をかけていたとみるべきである。そうしたところに、被災当日、多量の積雪のため長時間にわたる交通停滞が発生し、当日の肉体的疲労に過度のいらだちや業務予定のズレによる焦躁感などの精神的緊張が加わり、章次の心臓機能の負荷が増大し、終には章次を死に至らしめたのである。

5  コンテナトラクター運転手の労働災害

(一)(1) コンテナトラクターは、「通常の大型トラックと比較すると、重心が高く、トラクター部分の前後輪間隔が短いとともに、コンテナの重量に耐えられるようにサスペンション(バネ)が硬いなどの構造上の特徴をもって」おり、「そのため走行時には前後・上下・左右の振動や衝撃が非常に強い」(「海上コンテナドライバーの振動と健康破壊」月刊いのち二二五号七頁)ことが報告されている。

振動はそれが人体にどのように作用するかの違いによって、大きく「全身振動」(身体全体がゆすられる振動)と「局所振動」(例えば振動する工具を手に持って作業するとき、工具から手に振動が伝わる場合のような種類の振動)とに分類されるが、コンテナトラクターの場合は前者すなわち全身振動が問題となる。この全身振動の評価基準については一九七四年にISO(国際標準化機構)が決めた「全身振動暴露の評価に関する指針」があり、国際的に統一された唯一の評価基準として用いられている。

(2) 滋賀医科大学予防医学教室が、右評価基準に従って、昭和五九年九月に調査した結果によると、振動暴露の許容時間については、「コンテナトラクター一〇台中の八台までが、実入り、空バン、あるいはその両方など何らかの走行条件で、前後方向でも上下方向でも暴露時間が二時間以下しか許されない状況にあり、暴露時間三時間の線では一〇台すべてが含まれてしまう」(労災・職業病闘争報告集第一二集六五頁)という。そして、章次の乗車していた日野HE三五五は調査対象車両の中で、前後方向でも上下方向でも暴露許容時間が最も短いという結果(前後方向では八〇分以下・上下方向では一二〇分以下)となっている。

(3) こうした全身運動が頸、肩、腰に大きな負担をかけ、腰痛症等の原因となっていることはつとに知られているところであるが、それにとどまらず「全身の臓器にも様々な影響が及」(労災・職業病闘争報告集第一二集)び、疲労蓄積の最大の要因となっている。

(二) コンテナトラクターの運転席は非常に狭くて窮屈で、長時間にわたり運転席で不自然姿勢や拘束姿勢を強いられることが多いために、身体に疲労が蓄積しやすい。特にコンテナトラクター車の初期のものにはその傾向が大きく、日野HE三五五もその例外ではない。また、小回りや後退によるクラッチ切り替え操作が頻繁であること、ハンドルやペダル操作などに一般乗用自動車に比べて大きな力が必要であることなども疲労が多くなる原因となっている。

その他、コンテナトラクターの運転手は、コンテナの内容物や重量を直接確認しないため、走行中カーブなどで荷くずれや横転事故が起きないように細心の注意が要求されることや他社のコンテナトラクターとトレラー部分の交換をするような場合には時間的な神経も必要以上に使わなければならないことなど、普通のトラックに比較すれば精神的な疲労度が顕著である。

(三) 右に述べたところから明らかなように、コンテナトラクターの運転者の疲労蓄積が一般の大型トラック運転手に比べて高い以上、その労働時間について、一般の大型トラックの運転者と同列に論じることはできないのであって、一般のトラックやバスの運転者を対象とした「自動車運転者の労働時間等の改善基準」を遵守すればそれで十分ということはない。コンテナトラクターの特殊性を踏まえて適正な労働時間が決められるべきであり、振動暴露許容時間の単純な比較からすれば、日野HE三五五の場合、大型トラックの三分の一から二分の一の労働時間が適正ということになる。

6  章次の勤務形態

(一) 章次は、昭和五二年末ころから、セミトレーラーに乗務するようになった。右セミトレーラーの車種は日野HE三五五で、前記トラクター部分と後部トレーラー部分が連結された貨物自動車であり、全長一五メートル、最大積載量14.5トンである。

(二)(1) 章次が乗務した場合の運行目的地は、名古屋・岐阜・茨木・京都・大阪・姫路・南部方面であり、その外一カ月平均二回くらいの「イーグル」と称する名古屋行きの勤務があった。

イーグルの勤務と作業内容は概ね次のとおりである。

ア 一四時五〇分 出社。タイムカード、車両の点検整備。

イ 一五時 積載済みのセミトレーラーを運転して名古屋へ向けて出発。所要時間六ないし七時間。

ウ 二二時〜二四時 名古屋に到着。トレーラー部分を東京から出発した他社(向島運送)のトレーラー部分と交換。仮眠。

エ (翌日)二時 大阪・京都・和歌山方面へ向け出発。目的地により出発時間に違いあり。

オ 七〜八時 荷おろし目的地(例えば大阪)に到着。フォークリフトにより荷おろし作業。

カ 一一時 帰社、直ちに翌日のための積載作業約一時間。

キ 一二時二〇分 退社。

(2) 章次が被災した前月である昭和五六年二月六日から同月二〇日までの半月間の同人の勤務状況は、ほとんど深夜に出勤して午後帰宅するという状況であり、この間、二日間にまたがる勤務が二回あった。

7  被災当日の章次の行動及び被災当時の状況

(一) 章次は、昭和五六年三月一日午後三時ころ、いわゆるイーグルの業務予定のもとに単独でセミトレーラーの運転業務につき、同時刻ころ和歌山市湊一三三四番地の事業場を出発した。そして、同日午後七時から八時ころの間に奈良県天理市櫟本町の名阪国道入口に差しかかったが、折からの積雪のため右国道の路面が凍結し、右入口が閉鎖され、多数の車両が停滞していたおり、章次の運転車両もその停滞群に巻き込まれ、エンジンをかけたままの車内で待機せざるを得ない状況となった。

その後、章次は、待機車両近くの前記「だるまや食堂」にて夕食をとり、同日午後九時ころ、訴外会社の配車担当者である畑中に対しその状況説明をするために電話連絡をし、翌同月二日午前三時ころ、同じく停滞に巻き込まれた訴外会社の同僚運転手西岡暉芳と情報交換し、引き続き午前四時ころまで車内で待機していた。

(二)(1) 昭和五六年三月一日午後一時ころから奈良県地方には降雪があり、同月二日午前一時三〇分ころまで続いた。奈良地方気象台の測定によると、同月一日午後九時における積雪量は九センチメートルである。また、章次の死亡推定時刻(同月二日午前四時三〇分)ころの外気温は、同気象台の測定結果によれば、マイナス二度くらいであったと推測される。

(2) 章次の死体発見後まもなくの本件事故現場の状況であるが、トレーラー等が数珠つなぎになっており、相当な排気ガスを排出しており、臭気が強く、目が痛いくらいであった。

車中温度は、ヒーターに近い部分は相当高温になっていたものと考えられ、車中温度と外気温の差が大きかった。章次は、車中へ何回か出入りしたと考えられ、その度にこの温度差にさらされたもので、これが心臓等に影響を与えていた。

(三) 章次の前週の勤務は六日連続であり、かつ変則的勤務であったため肉体的疲労が蓄積していたうえ、天理市まで通常二時間半程度の行程のところ約四時間を要したことによる精神的焦躁、長時間の停滞に巻き込まれたことによるイライラ、業務予定のズレによる焦躁、さらに単独行動による精神的緊張等が加わり、章次の肉体的、精神的疲労は極度に達していたものである。

(四) 右のような事実関係に照らすと、章次には、その発病前に業務に関連する精神的又は肉体的負担(災害)が存在したものであり、章次の死亡原因は労基法施行規則三五条別表第一の二第九号に規定されている「業務に起因することの明らかな疾病」に該当し、同人の死亡は業務上と認定されるべきである。

8  原因疾患ないし基礎疾病の存在

(一) 急性心不全ないし心臓麻痺とは心臓停止を意味し、一般に原因究明がなし得ない急性心臓死をいうものであって明確な定義はないが、医学上その発生機序は、①原因疾患が基盤として存在し、②その病状を悪化させるような誘因がこれに加わり、③その際に起こる変化を生体が代償しきれなかったことによって起こるとされ、誘因としては、肉体的因子と精神的因子とがあり、一般に体動、飲酒、気象変化、入浴、疲労、精神的感動等が指摘され、さらに、①及び②の要件は相対的にとらえるべきものとされている。

急性心臓死の原因疾患としては、右のとおりその誘因と相対的であることから、医学上、単に弁膜疾患や狭心症のような心疾患に限られないことは勿論、その誘因の性質、強度によっては特に原因疾患を指摘できないものでも、突発的に起こりうるものとされている。

(二) 章次には、持病として気管支喘息、糖尿病、高血圧症があった。そして、右持病は、個々又は全体と相俟って前記誘因との相対的関係により心臓死の原因疾患たりうるものである。

(三) 前記7記載の各肉体的、精神的負担の程度は、個々の条件において、又は全体の条件が重なるときは心臓死を招来する可能性のあることは、通常人の経験則上明らかである。また、見方を変えると、章次が前記7の災害に遭遇することなく予定どおり目的地である名古屋に到着していたとすると、本件心臓死に至らなかったであろうことも経験則上十分肯認できるものである。

この場合、章次の急性心不全の原因として、持病である気管支喘息発症の可能性が強い。気管支喘息の発作の原因は、気象の変化、過労、ストレス、排気ガスの吸入等急性心不全の原因と重なっており、章次は、前記7の災害により気管支喘息の発作を起こし、心不全に陥った可能性が強く、かく考えることにより本件心臓死を無理なく説明できる。

9  以上のとおり、本件処分は違法であるから、原告は、被告に対し、本件処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する被告の認否及び反論

(認否)

1及び2(一)ないし(三)の各事実は認める。3の主張は争う。4(一)の主張は認め、4(二)、(三)の各主張は争う。6(一)の事実は認める。6(二)(1)の事実は否認し、6(二)(2)の事実は認める。7(一)、7(二)(1)の各事実は認め、7(二)(2)、7(三)の各事実は否認する。7(四)の主張は争う。8(一)の事実は認め、8(二)、(三)の各事実は否認する。

(被告の反論)

1 労働者の遺族が労災保険法一六条による遺族補償給付及び同法一七条による葬祭料を請求するためには、当該労働者が業務上の事由に基づいて死亡したものであることが必要であるが、一般に業務上の事由による死亡といい得るためには、労働者が業務を遂行中に(業務遂行性)、業務に起因して(業務起因性)発生した災害により死亡した場合であることを要するものと解すべきであり、ここに業務遂行性とは、労働者が労働関係上現に事業主の支配下にあることを指し、また、業務起因性とは、経験則上その災害が右の業務遂行に伴う危険の現実化したものと認められることをいい、換言すれば、右の業務遂行と災害との間に相当因果関係があることを指すものである。そして、業務遂行性が認められる場合においても、具体的な業務行為に従事中に発生した災害のような場合には事実上業務起因性が推定され、特別な事情のない限り業務上の災害と認められるが、例えば、休憩時間中に発生した災害のような場合には、そこに私的行為等業務と関係のない事由が介在する余地が大きいから、業務起因性は推定されず、事業場施設の瑕疵が共働原因になっているとか、特に業務遂行と相当因果関係のある災害であること(業務起因性)が認められない限り、業務上の災害とは認められないものと解すべきである。章次は、セミトレーラーを運転し、名古屋方面に向けて乗務していたところ、積雪、凍結による名阪国道閉鎖のため待機していた間に、だるまや食堂の空地において死亡しているのを発見されたもので、章次は、業務遂行時間中に死亡したものと認められるものの、その死亡が業務に起因するものと認めるに足る状況は見当たらず、死体検案の結果は「急性心不全」であり、業務遂行と相当因果関係のある死亡とは認めることができない。

2(一) 労働基準法(以下「労基法」という。)七五条二項は、業務上の疾病の範囲について命令で定めることとし、労基法施行規則三五条によって右の範囲が定められているが、それによれば、医学上の一般的経験則に基づき業務と疾病との関連が密接不可分な特定の疾病については、右施行規則別表第一の二第一号から第八号まで具体的列挙がなされ、これらの疾病は一般的に業務と因果関係があるものとして取り扱われるが、右列挙された疾病以外のものについては、同表第一の二第九号に「その他業務に起因することの明らかな疾病」と規定されていて、業務との間の相当因果関係が個々具体的に医学上の一般的経験則により解明されなければ業務と因果関係がある業務上の疾病とは取り扱われないことになるが、本件は、後者に該当する。

(二) 本件通達が対象としている急性心臓死等は、その発症機序が明らかでないか、あるいは発症機序の推定が一応なされたとしてもその促進因子(例えば過労等)が業務と関連するか否か、すなわち業務起因性の判断が一般に困難とされている疾病であり、したがって、これら疾病は、それが業務遂行中に発症したとしてもそれだけをもって業務起因性があるとすることはできず、また、残業が連続した中で発症したとしても、直ちに業務起因性が認められることにはならず、それは、たまたま業務中という機会をとらえて発症したケースにすぎないと認められる場合も多い。このように、本件疾病(急性心臓死)のごとき業務起因性の認定の困難な事例につき合理的かつ統一的な認定基準を定めなければ、全国斉一的な処分が不可能となるばかりか、業務中の心臓死であれば際限なくその業務起因性を認めるという不合理な結果になりかねず、かつ、業務起因性の判断が比較的容易な労基法施行規則別表第一の二第二ないし第七号所定の疾病にり患した場合に比して不公平なものとなるからである。そこで、右のような不合理、不公平な結果を避けるため、本件通達の定める「業務に関連する突発的又はその発生状態を時間的、場所的に明確にしうる出来ごともしくは特定の労働時間内に特に過激(質的に又は量的に)な業務に就労したことによる精神的又は肉体的負担(以下単に「災害」という。)が当該労働者の発病前に認められること」、すなわち、「災害」の介在を業務起因性の要件とすることは、医学的にも十分な合理性を有し、かつ、明確な基準というべきであって、本件通達の意義ないし必要性、合理性は今日でも何ら損なわれていない。

(三) 原告は、アクシデントが介在せず、職務による心身の慢性的過労状態によって疾病に陥ったときでも、業務起因性を肯定すべきことは当然であると主張するが、このような見解に従えば、労働者の発症前の業務が日常のそれに比して著しく過激なものでなくても、業務の遂行と発症との間になお相当因果関係を認め得る場合があることになり、結局、合理的・統一的な認定基準の必要性を否定するに等しく、失当である。

3 原告は、本件通達にかかる認定要件の検討として、その発病前に業務に関連する災害が存在した旨主張するが、右のような災害的事実は認められない。

章次の死因は急性心臓死と認められるが、業務上の事由による死亡というためには、通常の労働量を著しく超過した過度の肉体的努力(いわゆる過重労働)をなしている際であるとか、または、突如として激しい肉体的感動に打たれた場合等、心臓機能の停止を引き起こすであろうと医学的に判断しうる程度に循環系の負担を強めるような業務に直結する災害事実が認められ、かつ、循環系の負担を強め心臓死が起こったような場合でなければならないのであり、章次の死亡は、同人の従事していた業務、被災前の勤務状況等からみて業務に起因したものとは認められない。

(一)(1) 章次が死亡した昭和五六年三月二日(月)の前々週(同年二月一五日(日)から同月二一日(土)の同人の勤務日数は五日間、拘束時間数は五八時間二五分であり、前週(同年二月二二日(日)から同月二八日(土)の勤務日数は五日間、拘束時間数は六一時間三一分であって、同人は六日間連続の勤務は行っていなかった。かつ、同年二月一五日から同月二八日までの間の同人の勤務一日当たりの平均拘束時間は一二時間であり、過重労働ということはできない。

右の勤務状況は別表一記載のとおりであるが、章次が前週の勤務についた日(同年二月二二日)の前日(二月二二日)及び前々日(二月二一日)の二日間が公休及び指定休日であり、かつ、本件事故に当たる勤務についた日の前日(同年二月二八日)が指定休日で、その翌日(同年三月一日)の出勤時間が午後三時ころであったことからして、業務による肉体的疲労が蓄積する要因はなんら存在しなかった。

(2) 章次が勤務していた訴外会社は貨物の自動車運送を業としているものであり、その業務内容からして一般サラリーマンに比して貨物自動車の運転者の出退勤時間が一定していないのが通常である。なお、章次の勤務時間について述べるならば、別表一記載のとおり、昭和五六年二月一五日から同月二八日までの一日当たりの平均拘束時間一二時間は、基発第六四二号昭和五四年一二月二七日付労働省労働基準局長通達「自動車運転者労働時間等の改善基準について」の基準を下回っている。また、章次の死亡前三か月間における勤務日数、時間等を同僚と比較しても、別表二記載のとおり、章次の勤務状況はいずれも平均的であり、何ら過重なものではない。

(二) 章次が勤務していた訴外会社の就業規則九条(特別就業時間)では「勤務時間は一日につき八時間」とし、同一〇条において「一日以上にわたり運行業務する者については……運行出発時又は運行出発準備開始の時刻をもって始業とする。」旨規定している。そして、本件事故発生当時の章次の運行予定(左のとおり)を右就業規則に照らすと、その業務量は決して過度なものとはいえない。

三月一日午後 三時 和歌山発

午後 七時 上野着

午後 七時三〇分 同発

午後一〇時 名古屋着

被牽引車(積荷している車体)を他社の被牽引車と交換連絡の後、仮眠

三月二日午前 六時三〇分 名古屋発

午前 九時 上野着

午前一〇時 同発

午後 二時 和歌山着

そして、右の予定による業務内容は、自動車を運転するのみで積荷の積降し作業等の肉体的労働を要せず、一人運転で十分に業務が遂行できるものである。このような勤務形態の中にあって、本件のように偶発的停滞により仮に単独運転による精神的疲労があったとしても、その疲労は極度に達していたものとはいえない。

(三)(1) 原告は、停滞中、当然車内の空気も排気ガスに汚染されていたと考えられ、章次は、長時間排気ガスを吸入した影響により心臓等に負担がかかっていた旨主張する。

しかしながら、本件事故現場付近における排気ガスは待機していた自動車が暖房用ヒーターを作動するためのエンジンの排気ガスであって、自動車が発進走行中においてエンジンをふかす際に排出する排気ガスの量に比して少量で、かつ付近は比較的平坦地形であり、排気ガスが車外一帯に充満するものではない。また、車に備え付けられている暖房用ヒーターは内気循環による操作をするのが大半であり、一時的に窓を開けることにより排気ガスが入るとしてもごく少なく、車内の空気が排気ガスに汚染されていたという状況は到底考えられない。よって、章次が車内において長時間排気ガスを吸入したことによって心臓等に負担のかかるというような危険な状況はなかった。

(2) 原告は、車内温度はヒーターに近い部分は相当高温になっていた旨主張する。

確かに、車内温度について、温風の出口すなわちヒーターに近い部分(運転席の前面部分)は高温ではあるが、車内全体の温度は同じではなく、章次が仮眠していた運転席の後側の仮眠ベッドの位置ではその温度が半減されるのである。また、章次の死亡時における被服は当時の気象条件に見合った防寒服装であったことからして、同人は車外との温度差によって心臓等身体に急激な影響を受けたものではない。

4 右のとおり、章次の勤務条件ないし稼働状況からみて、章次の死亡が業務に起因するものでないことは明らかであるが、同人には業務の遂行と共働してその死亡をもたらしうるほどの基礎疾病は存在しなかった。章次は生前おおむね健康な成年男子だったのであり、同人には原告主張のような基礎疾病は認められないか、せいぜい軽症の気管支喘息にり患していたとしか認められないのであり、この程度の疾病であれば、仮にり患していたとしても、業務遂行とあいまって急性心不全を引き起こす原因とはなり得ない。

(一) 気管支喘息について

(1) 章次は、昭和五〇年四月一五日ころから昭和五五年一二月一七日ころまでの間感冒等にり患した際、度々、前坊毅医師の治療を受けていたもので、同医師は章次のいわゆる家庭医ないしは主治医的存在であったと思われるところ、章次が気管支喘息の治療を同医師から受けたのは、昭和五〇年一一月六日の往診時と昭和五一年三月一六日及び同月一七日の通院の二度の機会のみであって、その際には気管支喘息の治療薬であるネオフイリンやメドロキシンの投与を受けているものの、依存性のあるステロイドホルモンの投与は全く受けていない。

また、章次の健康診断の結果は、健康診断個人票によれば、昭和四六年四月以降しばしば喘息との記載があるものの、昭和五一年四月以降は前記前坊医師からも、また、右健康診断を担当した高森藤敏医師からも喘息の治療を受けていなかったことからして、章次が死亡した昭和五六年三月二日当時においては、章次の気管支喘息の程度は(仮にり患していたとしても)医師の治療を要しない軽度のものであったと認められる。

仮に気管支喘息があり、それに何らかの誘因が加わり急性心不全が発生するとしても、その気管支喘息が相当程度重篤でなければ体動、気象変化、疲労、精神感動などささいなストレスで死亡することはない。

(2) 原告は、章次の急性心不全は持病である気管支喘息によって発生した可能性が強い旨主張する。しかしながら、右原告の主張は憶測に過ぎない。章次の持病として気管支喘息が仮に認められたとしても、その程度は軽症であったこと、章次は、死亡の前日である昭和五六年三月一日午後七時か八時ころから、国道閉鎖のため待機状態となって十分に睡眠もとれたこと、死亡していた章次が発見された同月二日午前四時四五分ころに先立つ同日午前三時ころ、同じく待機中であった同僚と会話した際、章次には何らの異常もなかったこと、死体検案結果によってもショックの要素及び喘息発作を推認させる事実もなく、着衣の乱れも存しなかったことなど、いずれも、章次に急性心不全の原因たり得たほど急激かつ重篤な気管支喘息が死亡直前に生じたと認めることを不可能にさせる事実が存在し、結局、右急性心不全の原因は不明といわざるを得ないのであるから、章次の死亡が業務に起因したと認め得る根拠は存しない。

(二) 糖尿病及び高血圧症について

(1) 糖尿病については、健康診断個人票中には、昭和五四年四月及びその次回の健康診断の際、章次の疾病として糖尿病及び初期高血圧との記載があり、また、尿検査でも数回糖陽性となっているが、診療録によれば、昭和五三年五月一五日実施の尿検査における章次の血糖値は、一一九mg/dl(甲第六号証の八の九)で正常値の範囲内にあり、また、医師の治療も受けていないのであるから、せいぜい糖尿病の疑い程度のものにすぎなかったと認められる。

(2) 高血圧症についても、健康診断個人票及び診療録中に、高血圧症又は初期高血圧との診断結果が記載されているが、WHOの基準によれば、高血圧とは、最大(収縮期)血圧が一六〇ミリメートル水銀圧以上で、最小(拡張期)血圧が九五ミリメートル水銀圧以上で、以上の両者又はいずれかを満たすものであり、また、成書によれば、「大体その人の年令に九〇または一〇〇を加えたものが最大、これの2/3が最小、1/3が脈圧としてよい」とされているところ、章次(死亡当時満四八歳)の場合、最小血圧値が九〇ミリメートル水銀圧を越えたのは昭和五一年三月一六日と同月一七日に前記前坊医師方で測定されたときのみであって、他の定期健康診断時の測定においてはいずれもほぼ正常範囲内であったのであるから、章次がその死亡時において高血圧症にり患していたということはできない。

5 以上のとおり、章次の急性心不全は、その原因が明らかではなく、労基法施行規則三五条別表第一の二第九号の「業務に起因することの明らかな疾病」に該当しないから、章次の死亡は業務上の死亡と認めることはできない。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1及び2(一)ないし(三)の各事実は当事者間に争いがない。

二1  原告は、章次の心不全による死亡は業務上の事由によるものである旨主張し、被告はこれを争うので、案ずるに、労働者の遺族が労災保険法に基づき遺族補償給付(同法一六条)及び葬祭料(同法一七条)の支払を請求するためには、その労働者の死亡が業務上の事由に基づくことを必要とし(労災保険法一二条の八第二甲、労働基準法七九条、八〇条)、右にいう業務上の事由による死亡とは、労働者の死亡がその業務遂行中に発生し(業務遂行性)、かつ、その死亡が業務に起因して発生した負傷又は疾病によるもの(業務起因性)と認められる場合をいう。労働者の死亡が負傷に基づかない急性心不全の場合、それが労基法施行規則三五条別表第一の二第九号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当することを必要とするが、本件においては、章次がその業務従事中に急性心不全によって死亡したことは当事者間に争いがないので、その死亡について業務起因性が認められるか否か、すなわち、業務とその死亡との間に相当因果関係が存在するか否かを検討すべきところ、右の相当因果関係があるというためには、「業務に従事していなかったならば、死亡の原因となった疾病は生じなかったであろう。」という条件関係が必要であるのみならず、その業務が、当該疾病と条件関係にある諸々の原因のうち相対的に有力な原因であることを要するが、これをもって足りると解すべきである。

2  被告は、右の業務起因性について、本件通達を根拠として、急性心臓死等の疾病はそれが業務遂行中に発症したとしてもそれだけで業務起因性があるとすることはできず、「業務に関連する突発的又はその発生状態を時間的、場所的に明確にし得る出来ごと若しくは、特定の労働時間内に特に過激(質的に又は量的に)な業務に就労したことによる精神的又は肉体的負担が当該労働者の発病前に認められること」、すなわち災害の介在を要件とすべきである旨主張する。

しかし、日常的に質的又は量的に過激な業務に従事する労働者の作業内容又はその置かれた労働環境が、労働者の心身に有害な影響を与え、それが一定期間継続したことにより、例えば労働者が慢性的過労状態に陥り、その過労状態が重要な因子となって労働者が死亡するに至ったが、発病前の業務内容に特段の変化がなかったような場合、災害の発生を要件として業務起因性を否定することは合理性に欠けるというべきである。したがって、被告の主張する災害の存在が業務起因性を認定する有力な資料であるということはできるが、右認定の必要条件であるとまで認めることはできず、前記のとおり、当該業務が疾病の相対的に有力な原因であると認めることができればその業務起因性を肯定できるものと解すべきである(なお、本件通達が、昭和六二年一〇月二六日付労働省労働基準局長通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」の施行に伴い廃止されたことは、当裁判所に顕著である)。

三章次の勤務状況

<証拠>を総合すると、次の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

1  章次は、昭和五二年ころからセミトレーラー車(日野HE三五五)に乗車するようになったものであるが、右セミトレーラーは、前部トラクター部分と後部トレーラー部分とが連結された貨物自動車であり、全長一五メートル、最大積載量14.5トンである(この事実は当事者間に争いがない)。

2(一)  章次の勤務形態は、主として、京阪神方面に貨物を運搬するローカル運送であり、積み荷のほとんどは花王石鹸株式会社和歌山工場の製品であった。訴外会社の勤務時間は、通常、午前八時から午後五時までであるが、セミトレーラーに乗車する者の勤務時間は著しく不規則であり、章次の勤務時間も、出勤時間及び退勤時間ともに一定せず、しかも、業務の性格上、深夜・早朝の出勤が少なくなく、夜間に乗務する機会が多かった。

(二)章次の運送目的地は、大阪、京都、奈良(和歌山からの走行距離は片道およそ一〇〇キロメートル、以下同じ)名古屋(二六五キロメートル)、岐阜、滋賀(一九〇キロメートル)、姫路(一七〇キロメートル)、南部(八〇キロメートル)等であったが、一か月に一回程度「イーグル」と称せられている名古屋行きの勤務があった。イーグルの内容は、製品の積み込まれたセミトレーラーを一人で運転して名古屋市内にある向島運送株式会社まで搬送し、同所において、自己のトレーラーの積み荷部分と東京方面から来た車両の積み荷部分とを相互に交換した後、仮眠、休息し、翌日同所を出発して和歌山に帰還するという二日間にわたり、拘束時間が二一ないし二二時間に及ぶ業務であり、その勤務時間、作業内容は概ね次のとおりである。

ア 午後 三時 和歌山発

イ 午後 七時 上野着

ウ 午後 七時三〇分 上野発

エ 午後一〇時 名古屋着

自己のトレーラー部分(積み荷している車体)と他社のそれとを交換した後、仮眠

オ 午前 六時三〇分(翌日) 名古屋発

カ 午前 九時 上野着

キ 午前一〇時 上野発

ク 午後 二時 和歌山着

(三)  章次の死亡前約三か月間の勤務内容は別表三記載のとおりであり、章次は、昭和五二年ころからこれとほぼ同様のセミトレーラー乗務を継続していた。

すなわち、昭和五五年一一月二一日から同年一二月二〇日までの三〇日間における章次の労働日数は二二日、休日数は八日、拘束時間の総計は二七四時間四四分、一日当たりの平均拘束時間は一二時間二九分であり、右の勤務のうち一人乗務が五回(うち二回は連続二日間にわたる勤務)、二人乗務が一〇回(うち三回は連続二日間にわたる勤務)、乗務員数不明の回数が三回、午後一〇時から午前六時までの深夜、早朝に出勤した回数は一四回、それ以外の時間帯に出勤した回数は五回であった。

昭和五五年一二月二一日から昭和五六年一月二〇日までの三一日間における章次の労働日数は二〇日、休日数は一一日、拘束時間の総計は二〇七時間一七分、一日当たりの平均拘束時間は一〇時間二一分であり、右の勤務のうち一人乗務が一〇回(うち一回は連続二日間にわたる勤務)、二人乗務が六回(うち一回は連続二日間にわたる勤務)、午後一〇時から午前六時までの深夜、早朝に出勤した回数は一二回、それ以外の時間帯に出勤した回数は六回であった。

昭和五六年一月二一日から同年二月二〇日までの三〇日間について、章次の労働日数は二三日、休日数は八日、拘束時間は総計二七七時間三九分、一日当たりの平均拘束時間は一二時間四分であり、一人乗務が一〇回(うち二回は連続二日間にわたる勤務)、二人乗務が六回(うち二回は連続二日間にわたる勤務)、乗務員数不明の回数が三回、午後一〇時から午前六時までの深夜、早朝に出勤した回数は一七回、それ以外の時間帯に出勤した回数は四回であった。

章次が死亡した前週である昭和五六年二月二一日から同月二八日までの七日間について、同人の労働日数は五日、休日数は二日、拘束時間は総計六一時間三一分、一日当たりの平均拘束時間は一二時間一八分であり、右の勤務のうち一人乗務が二回、二人乗務が二回(うち一回は連続二日間にわたる勤務)、乗務員数不明の回数が一回、午後一〇時から午前六時までの深夜、早朝に出勤した回数は四回、それ以外の時間帯に出勤した回数は一回であった。

3  訴外会社においては、毎週日曜日を公休とするほか、毎月二回の指定休日、年間二〇日の有給休暇、年末・年始、夏期休暇があり、章次は、年末年始及び夏期休暇の前後に有給休暇を取るなどしてこれを相当程度消化し、その他の休暇はほぼ完全に使い切っていた。

4  昭和五四年一二月二七日付基発第六四二号「自動車運転者の労働時間等の改善基準について」は、自動車運転者の労働条件の最低基準として、一般乗用旅客自動車運送事業(ハイヤー・タクシー業)以外の事業における自動車運転者について、始業時刻から始まる一日の拘束時間は、時間外労働を含め一三時間以内とし、この一日の拘束時間は二週間を平均して計算することができるものとすること、また日勤勤務で一人乗務の場合、一日の最大拘束時間は一六時間以内とし、勤務と次の勤務との間に連続した八時間以上の休息期間を確保すること、拘束時間が一五時間を超える日は、一週につき二回を限度とすること等を規定している(この事実は当裁判所に顕著である)。

5  滋賀医科大学予防医学教室が、昭和五七年一一月から昭和五八年六月にかけて調査した結果等に基づき、昭和五九年九月作成した「海上コンテナトラクターの振動測定結果について」と題する報告書には、コンテナトラクターの走行によって発生する振動レベルは、大型トラックのそれに比しても高いものであり、その振動は運転者の全身各所に対して様々な生理的影響を与えるものであること、章次の乗車していたコンテナトラクターと同機種の日野HE三五五について、作業能率の保持(疲労、能率減退境界)の点から振動許容時間を測定したところ、上下方向の許容時間は空バンのとき約一五〇分、実入りのとき約九〇分であり、前後方向の許容時間は空バンのとき約八〇分、実入れ約七〇分であったこと、測定に使用された一〇種類のコンテナトラクターのすべてについて、運転者の健康や安全の保持の限界である振動暴露の許容時間は三時間以下であったこと、以上のような内容が記載されている。

四被災当日の章次の行動及び事故現場の状況

<証拠>を総合すると、次の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

1  章次は、昭和五六年三月一日午後三時ころ、いわゆるイーグルの業務予定のもとに単独でセミトレーラーの運転業務に就き、同時刻ころ和歌山市湊一三三四番地の事業場を出発した。そして、章次は、午後七時ころから八時ころまでの間に奈良県天理市櫟本町の名阪国道入口に差しかかったが、折からの積雪のため右国道の路面が凍結し、右入口が閉鎖され、多数の車両が停滞しており、章次の運転車両もその停滞群に巻き込まれ、エンジンをかけたままの車内で待機せざるを得ない状況となった。その後、章次は、午後九時ころまでの間に待機車両近くの「だるまや食堂」にて夕食をとり、同日午後九時ころ、訴外会社の配車担当者である畑中に対しその状況説明をするために電話連絡をした。章次は、翌同月二日午前三時ころ、同じく停滞に巻き込まれた訴外会社の同僚運転手西岡暉芳と情報交換し、引き続き午前四時ころまで車内で待機していた(この事実は当事者間に争いがない)。

西岡は、右のように章次の車内で話をしたとき、章次からよく寝たということばを聞いたが、章次には特段変わった様子は見られなかった。章次は、その後同日午前四時四五分ころ、自己の車両から約三〇メートル離れた前記だるまや食堂脇の空地で死亡しているのを通行人によって発見されたが、章次は、その当時、ジャンバー、作業服、トックリセーター、長袖シャツ、毛糸はらまき、メリヤスパンツ、作業ズボン、靴下、安全靴等を着用していた。

天理市内病院の苗加文男医師は、同日午前八時ころ天理警察署において、章次の死体の検死を行ったが(なお、章次が、同日午前四時三〇分ころ、同所において心不全により死亡した事実は当事者間に争いがない)、その際、章次には打撲等の外傷は認められず、排気ガス中毒(一酸化炭素中毒)の症状も認められなかった。また、章次の死体の解剖は行われなかった。

2  昭和五六年三月一日午後一時ごろから奈良県地方には降雪があり、同月二日午前一時三〇分ころまで続いており、奈良気象台の測定によると、同日午後九時における積雪量は九センチメートル、また、章次の死亡推定時刻(同月二日午前四時三〇分)ころの外気温は、同気象台の測定結果によればマイナス二度くらいであったと推測される(この事実は当事者間に争いがない)。同月二日午前〇時から午後六時ころにかけての外気温は、奈良市半田開町で摂氏〇度、奈良県山辺郡祁村で摂氏マイナス二度ないしマイナス三度であり、したがって、章次は、同月一日に和歌山を出発した当初から翌日同人が死亡するまで、相当な低温のなかで車両運転、待機等の業務に従事していた。他方、章次の車両内の気温は、章次の死亡後に天理警察署警察官が測定したところによれば摂氏三二度あった。

3  本件事故当時、事故現場付近には、およそ一〇〇台の車両が名阪国道不通のため待機、停車しており、その多くが車内暖房を施していたため、相当程度の排気ガスが排出されていた。

五章次の病歴及び健康状態

<証拠>を総合すると、次の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

1  章次(昭和七年一二月一五日生)は、年少のころから気管支喘息の持病を有し医師の診察を受けており、昭和三七年に原告と婚姻して以降も、特に季節の変わり目などに喉でぜいぜいと音をたてる気管支喘息の症状がみられたが、昭和五〇年一一月六日、自宅で気管支喘息の強い発作を起こし呼吸困難に陥ったため、医師前坊毅の診察(往診)を受け、一〇c.c.の静脈注射及びアロテック一c.c.の皮下注射等の治療を施され、また、昭和五一年三月にも気管支喘息により同医師の治療を受けたほか、その後も軽い喘息の症状を呈していたことから、昭和五三年ころから和歌山市紀三井寺にある薬局で漢方薬を調合してもらいこれを服用していた。そして、章次は、訴外会社によって毎年一、二回行われる健康診断の際、健康診断個人票の就業上の注意事項欄等に喘息又は気管支喘息と記載されることがしばしばあった。

2  章次は、昭和四四年に訴外会社に入社し、昭和四九年ころから大型トラックに乗り始め、昭和五二年ころセミトレーラーに乗車するようになったものであるが、セミトレーラーに乗車して二年ほどした後、勤務時間帯が不規則になったことなどから、業務による疲労や不眠症状を訴え、原告に対し娘が高校を卒業したらセミトレーラーを降りて通常の車両に乗りたい旨告げるなどし、夜間に眠れずに精神安定剤を服用したり、睡眠をとるために飲酒したりするようになった。昭和五三年五月八日にはメニエル症候群の病名で前坊医師から治療を受け始め、その症状がしばらく続き、同月二〇日までほぼ毎日受診していたが、その際にも、同医師に対し不眠症状を訴えていた。章次は、さらに、昭和五五年一月二三日の健康診断の際に夜業のための不眠を訴え、同年八月一日の健康診断の際には、不眠、不眠による悪心を告げていたほか、食欲不振、胃痛、疲労感、全身倦怠感をも訴えていた。

そして、章次の死亡前一週間の勤務内容は前述したとおりであり、章次は、昭和五六年二月二八日に指定休日を取った後、同年三月一日午後二時五〇分ころ本件事故当時の勤務に就くために家を出たが、その出勤前特に眠いといって一時間ほど寝てから出勤した。

3  章次が昭和五〇年以降前坊医師の診療を受けた時期、病名等を列記すると次のとおりである。

(一)  昭和五〇年四月五日から二一日まで

感冒及び扁桃腺炎で五回通院(治癒)

(二)  昭和五〇年一一月六日

気管支喘息発作のため往診を受ける(治癒)

(三)  昭和五一年三月一六日から一七日まで

高血圧及び気管支喘息で二回通院(中止)

(四)  昭和五二年一月一三日

感冒及び左肋間神経痛で一回通院(治癒)

(五)  昭和五二年二月九日から一五日まで

咽頭炎及び左肋間神経痛で四回通院(治癒)

(六)  昭和五二年三月二八日から二九日まで

急性大腸炎で二回通院(治癒)

(七)  昭和五二年一〇月一九日から二四日まで

咽頭、気管支炎で二回通院(治癒)

(八)  昭和五二年一二月二四日

感冒症候群で一回通院(治癒)

(九)  昭和五三年一月一二日から二〇日まで

気管支炎で四回通院(治癒)

(十)  昭和五三年二月一〇日から二〇日まで

顔面皮膚炎で二回通院(治癒)

(十一)  昭和五三年五月八日から二〇日まで

メニエル症及び糖尿病で一〇回通院(中止)

(十二)  昭和五三年七月六日から八日まで

急性扁桃腺炎で二回通院(治癒)

(十三)  昭和五四年四月四日から二一日まで

内痔核、痔出血で三回通院(治癒)

(十四)  昭和五四年五月四日から一八日まで

内痔核、痔出血で二回通院(中止)

(十五)  昭和五五年一月五日から一四日まで

感冒症候群で四回通院(治癒)

(十六)  昭和五五年二月一三日から一四日まで

感冒症候群、扁桃腺炎で二回通院(治癒)

(十七)  昭和五五年一二月一五日から一七日まで

感冒症候群、右肋間神経痛で三回通院(治癒)

六死因に関する医師の診断

章次の死亡が業務上のものであるか否かについて意見を求められた労働基準局医員駒井則彦は、昭和五六年九月一七日、章次にはその死亡前に心疾患の既往は認められず、死亡は急性心不全による突然死と考えざるを得ないこと、当日及び死亡前には精神的、肉体的なストレスになるべき状況はなく、業務が死亡原因になったとは考えられないこと等を根拠として、右死亡を業務外疾病による死亡と判断する旨の診断(判断)所見を提出した。

また、章次の検死を担当した天理市立病院の苗加文男医師は、労働事務官の面談調査に対し、検死時にはすでに章次の死亡後三時間余り経過しており、死体には打撲等による外傷、一酸化炭素中毒症状は認められず、解剖はしていないが、急性心不全を否定する要素は他に認められなかったので心不全と診断したこと、死亡原因と業務との因果関係については、業務の内容等詳細に理解していないので確たることはいえないが、急性心不全で死亡する事例には一般的に健康に見えていても急に発症死亡に至っている場合が多いため、意見は出し難いこと等を供述している。

これに対し、昭和五〇年ころから章次の家庭医として同人の疾病等の診療に当たってきた前坊医師は、原告側から労災認定の手続きに必要であるとして診療録の提出を求められた際、章次は持病として気管支喘息等を持っており、感冒で受診した時も常に軽度の喘息性の気管支音を認めたこと、一般に気管支喘息の発作は、天候や気圧の変動、気温の変化、過労、ストレス、排気ガスの吸入、花粉や塵埃の吸入又はそれによるアレルギー反応等種々の原因によって生じ、気管支喘息の体質を持つ人間は時と場所を選ばず発作を起こしうる可能性を持っていると考えられること、章次の死体検案書の死因が心不全となっているところから推定すれば、章次は、激しい気管支喘息の発作を起こし、吸気性呼吸困難のため血中酸素不足で心臓に過剰な負担を生じ、心不全に陥り死亡したものと思われること等を根拠として、業務上の死亡か業務外の死亡かは法律家の判断を待つほかないと考える旨の意見書(昭和五七年一月一五日付)をも作成し、原告側に提出した。

七章次の死亡原因

1  原告は、章次の急性心不全の原因として、持病である気管支喘息の可能性が強い旨主張するので、この点について判断する。確かに、前記五1で認定したとおり章次は、年少のころから気管支喘息の持病を有し、昭和五〇年一一月には喘息性の強い発作を起こし、その後も気管支喘息の身体的症状があり喘息の漢方薬を服用していたこと、本件事故当時、寒冷な気温の中でかつ排気ガスにさらされながら後述のような精神的、肉体的疲労を負担していたこと等の事実を認めることができ、前坊医師も、前記六のとおり、章次の急性心不全の原因疾患について、同人は激しい気管支喘息の発作を起こし、吸気性呼吸困難のため血中酸素不足で心臓に過剰な負担を生じ、心不全に陥り死亡したものと推定される旨述べている。このことからすると章次の気管支喘息が右のような機序に従って発生した可能性を否定することは困難である。しかしながら、前記五の1の経過からすれば章次は、昭和五一年三月気管支喘息のため前坊医師の診療を受けた後、右疾患により同医師を訪れたことも強度の喘息性発作を起こしたこともなく、また、本件事故後三時間余り後に行われた検死の結果に照らしても、章次が喘息の発作を引き起こしたことを推認させる身体的症状を認めることはできないのであって、結局、本件全証拠によっても、章次の急性心不全が同人の気管支喘息が原因となって発生した事実を認めるには足りないというべきである。

また、章次が、本件事故当時、高血圧症、糖尿病にり患していたことを証明するに足る証拠は存在しない。そうすると、章次の急性心不全の原因となった疾患は、本件全証拠によってもこれを明らかにすることはできない。

2  ところで、章次の急性心不全と業務との間に相当因果関係が認められるためには、前記二2のとおり章次の業務が心不全を生じさせた相対的に有力な原因であることが必要であると解されるところ、被告は、章次の急性心不全の原因は不明であるといわざるを得ないので章次の死亡が業務に起因したと認め得る根拠は在しない旨主張しており、右のとおり心不全の原因疾患が証明されておらず、その発生機序が明確にされているとはいえない本件においては、相当因果関係の立証が尽くされていないものと解する余地もある。この点について検討するに、訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして合理性を総合検討し、特定の事実が特定の結果を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その立証の程度については通常人が疑いを差し挾まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とするが、それで足りるものと解すべきところ、急性心不全は疾患名ではないので、本件のように急性心不全という診断が下された場合、その原因となった疾患名を臨床所見、解剖所見等により解明することが業務起因性を裏付ける相当因果関係を立証するための有力な手段となることは疑いを容れないところであるが、たとえ心不全の原因疾患が立証されないとしても直ちに業務と死亡との間の相当因果関係が否定されるものではなく、業務に起因する精神的、肉体的負担がそれ自体で又は他の基礎疾病等と共働して、心不全の有力な原因として作用したと認定しうる場合には、右相当因果関係を肯定することができるものと解すべきである。

以下、右の点を本件に即して検討する。

八章次の肉体的、精神的疲労

1 人間の身体は、朝から夕刻にかけて労働に適した状態になり、夜間は睡眠に適した状態になる生理機能を有しており、深夜労働によって昼夜の逆転した生活を送ること自体その生理機能に逆行し、人の心身に多大の疲労をもたらすものであることは公に知られているところであるが、前記三で認定した章次の勤務状況、すなわち、章次は、昭和五二年ころからセミトレーラーによる貨物輸送の業務に就くようになったが、前記のとおり章次の乗務していたセミトレーラーは全長一五メートル、最大積載量14.5トンという構造、性能を有し、振動レベルも大きいため、その乗務自体が大型トラックよりもさらに強度の緊張を要求する疲労度の高い性質を有するうえ、輸送の目的地が名古屋、岐阜、滋賀方面となることも少なくなく、その拘束時間も一日平均一二時間程度となり、かつ、深夜、早朝の出勤を余儀なくされ、労働時間帯が不規則になるなどの状況からすれば、章次の右業務は肉体的、精神的に相当程度負担がかかり、疲労の蓄積する内容の業務であったことが認められ、さらに前記五1ないし3で認定した章次の健康状態、特に同人は気管支喘息の持病を有し、本件事故の約五年前であるが強度の喘息性発作を引き起こした経験があり、その後も気管支喘息のための薬剤を施用していたこと、常々疲労、不眠を訴え、家族にも当該業務自体から身を引きたいと述べており、昭和五五年以降は訴外会社の健康診断の際にも不眠や疲労感を訴えていたこと、感冒症候群で前坊医師の診察を比較的多く受けていたこと、章次が死亡時の勤務に就いた昭和五六年三月一日の出勤前、同人は眠いといって一時間ほど寝ていたこと等の事情にも照らすと、章次は、五ないし六日間の労働日の間にとっていた一ないし二日間の公休、指定休等の休日によってもその肉体的、精神的な疲労を十分に回復することができず、業務の継続により、本件事故当時現実にその疲労を蓄積させていたものというべきである。

加えて、章次は、本件事故当時、その業務の内でも比較的負担の重いイーグルと称せられている一人乗務による名古屋までの往復貨物輸送に従事していたところ、折からの降雪による路面凍結のため名阪国道が閉鎖され、その入口付近で不通解除まで待機せざるを得なくなり、通常であればすでに名古屋に到着して仮眠、休息をとりうる時刻を過ぎても、寒冷な気温の中でかつ待機中の車両の排気ガスにさらされながら、さらに待ち続けなければならなかったのであって、同人が喘息の持病を有していたこと、イーグルの行程の四分の一にも達していない段階でその業務予定が大幅に遅延し、なお開通の見通しも十分ではなかったこと等の事情にも鑑みると、たとえ同人がその事情を訴外会社の配車担当者に連絡していたとしても、同人は強度の精神的、肉体的負担を背負わざるを得なかったものというべきである。また、三月一日の午後九時以降、章次は主として自己の車両内で休息をとることができたものと認められるが、右のような待機時間中、単独乗務であった同人が完全な休息をとることは困難であり、同人はその精神的、肉体的疲労を回復させるのに十分な休息を得ることができなかったものというべきである。

2 そして、右のとおり、章次の従事していた日常の業務が精神的、肉体的に負担を生ぜしめる内容のものであり、これにより現実に章次は相当な疲労を蓄積していたこと、本件事故当時の業務は、名古屋までの往復輸送の予定を四分の三以上も残したまま寒冷な気象条件の下で長時間車内待機を強いられるというものであり、普段の業務と比較して過重な負荷を負わせる内容であって、それ自体がいわゆる災害的出来ごとに該当するといい得るものであるが、章次は正に右業務遂行中に死亡したこと、さらに、一般に精神的、肉体的疲労は心臓機能に対する負担を増大させ、急性心不全の誘因となりうるものと医学上肯認できること、本件において章次の急性心不全の原因となる基礎疾病等は特段見いだし得ないこと等の事情を総合考慮すると、章次の就いていた業務が、経験則上、少なくとも同人の急性心不全を誘発する有力な原因の一つであったものと認めることができ、したがって、章次の業務と心不全による死亡との間には相当因果関係が存在するものというべきである。

3 労働保険審査会は、原告の再審査請求に対する昭和五九年一一月七日付の裁決書において、章次の業務はそれなりに肉体的及び精神的負担のかかるものであったことは否定できないが、休暇の状況、拘束時間の内容等を総体的に把えるとその肉体的、精神的負担は適宜中断され、かつ、章次が比較的多い休日を適当な間隔でとっているので、これらの負担から生ずる疲労は蓄積されることなく回復していると認められ、さらに、死亡事故当日の業務内容についても、少なくとも西岡暉芳と会話を交わした時点までは休憩及び仮眠により肉体的疲労は回復した状態にあり、精神的焦躁ないし緊張も認められないので、右業務内容が本件心不全ないしはその原因疾患の誘因とはなりえない旨の判断を示しており、被告もこれと同様の判断に従って、章次の死亡は、同人の従事していた業務、被災前の勤務状況等からみて業務に起因したものとは認められない旨主張している。しかしながら、右判断は、章次の健康状態を正当に評価しているものとはいい難いので、被告の右主張は採用することができない。

4 以上のとおり、章次の業務とその急性心不全との間には相当因果関係があり、右疾病について業務起因性を認めることができるというべきであるから、これが業務上の事由によるものとは認められないことを理由として行われた被告の本件処分は違法である。

九結論

よって、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官弘重一明 裁判官安藤裕子 裁判官高橋譲)

別紙<省略>

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